①美容師物語 書きかけ 長くなりそうだ

第一章 はじまり

僕久保山啓司(ひろしって読みます)は、姫路市で生まれた。文章力がないのでチャッピーに手伝ってもらてます。

父はごく普通のサラリーマン(出光経理やったかな今は引退して土いじりが日課)。

僕はその末っ子。

特別裕福でもなく、特別不自由でもない。

どこにでもある、普通の家庭。

母方の祖父(丹羽屋布団店 神戸長田)は、布団屋の職人だった。

毎日同じ場所で、黙々と手を動かし続ける人。

派手ではないけれど、その背中には、言葉にできない重みがあった。

そして僕は、大人しい子供だった。

前に出るタイプではなく、

大きな声を出すわけでもなく、

どちらかといえば、周りを見ている側の人間だった。

自分から何かを主張することも少なく、

静かにその場にいる。

そんな子供だった。

サラリーマンの父。

手で生きる職人の祖父。

静かな家庭と、静かな自分。

この頃の僕はまだ、

自分がどんな道を進むのか、

何者になるのか、何も知らなかった。

第二章 卓球と、ぼんやりした未来

中学、高校と、毎日卓球をしていた。

特別強かったわけではないが高校は強いところに入れた(東洋大姫路 野球が有名だけど卓球剣道も強かったかな)

でも、気がつけば、生活の中心にはいつも卓球台があった。まぁ強豪校なので360日ぐらい練習と試合の繰り返し

来る日も来る日も、同じ体育館で、同じ音を聞く。

ボールがラケットに当たる乾いた音。

それが日常だった。

当時、卓球にはどこか暗いイメージがあった。

華やかなスポーツではない。

どちらかといえば、地味で、静かで、目立たない。

将来のことは、まだはっきりとは見えていなかった。

何になりたいのかも、特に決まっていなかった。

ただ、高校二年生くらいの頃から、少しずつ変化があった。

友達の髪の毛を、学校で切るようになった。

最初は遊びの延長だった。

頼まれたから切る。

それだけの理由。

でも、切った後の友達の反応を見るのが、好きだった。

少し照れくさそうにしながら、

「ありがとう」と言われる。

その瞬間、

自分の手で、何かを変えられる感覚があった。

まだその時は、

それが自分の仕事になるとは、思っていなかった。

ただ、静かに、

何かが始まりかけていた。

第三章 専門学生へ

姫路市で育った田舎者の僕は、

美容師になるために、大阪市の専門学校へ進学することになった。僕の時は専門一年間

通うことになったのは、梅田。

そこは、それまで自分がいた世界とは、まるで違っていた。

街を歩く人たちの服装。

髪型。

空気感。

すべてがオシャレで、洗練されていた。

自分が今まで「普通」だと思っていたものが、

ここでは「普通」ではなかった。

同じ専門学生でも、

すでに完成されているような人たちがたくさんいた。

服も、髪も、立ち振る舞いも、

全部が違って見えた。

場違いなんじゃないか。

本当に、ここでやっていけるのだろうか。

そんな不安を、ずっと抱えていた。

でも同時に、強い刺激も感じていた。

知らない世界。

知らない価値観。

知らない「美」の基準。

ここで、自分は変わっていくのかもしれない。

期待と不安の中で、

美容師としての時間が、静かに動き始めた。

〜インターンという名の現場修行〜

当時は専門学校は一年制だった。

今みたいに二年ではなく、

一年間で技術と学科を詰め込むスタイル。

そして当時は「インターン制度」があった。

一年間、美容室で働きながら学ぶ。

そしてそのまま国家試験へ。

今思えば、なかなかハードな仕組みだと思う。

現場が教科書だった

朝は掃除から始まる。

タオルを畳み、床を磨き、先輩の準備を整える。

技術を教えてもらう前に

まず“空気を読む”ことを覚えた。

学校ではワインディングを練習する。

でも現場では、シャンプーの水圧一つで怒られる。

「優しすぎる」

「弱い」

「流し残しある」

教科書には載っていないことばかりだった。

美容師は技術だけじゃない

営業中の緊張感。

お客様がいる空間の重み。

国家試験の練習よりも

“人前に立つ”ことの方が何倍も難しかった

(今思えば、あの頃から緊張体質だったのかもしれない。)

でもその一年があったから

美容師という仕事の“現実”を早く知れた。

国家試験はゴールじゃなかった

一年間働いて、

やっと受ける国家試験。

合格は通過点だった。

本当のスタートは

そのあとからだった。

「できない自分」と向き合う毎日。

でもあのインターン時代があったから

逃げずにいられた。

ギラギラしていた15年

研修を終え、国家試験に合格。

やっと美容師としてのスタートラインに立った。

それから一年ほど経った頃、

店の移転が決まった。

広さは、約3倍。

単純にワクワクした。

「これからもっと大きくなる」

そんな空気が店中にあった。

来る日も来る日もレッスン

営業が終わる。

そこからが本番だった。

カット、カラー、パーマ。

来る日もレッスン。

気づけば終電はなく、

店に泊まることも何度もあった。

ソファで寝て、

朝そのまま営業。

今思えば無茶だけど、

あの頃はとにかく“スタイリストになる”ことで頭がいっぱいだった。アシスタントの時は手荒れに悩まされてた。酷かったね、ステロイドを使いまくってたね 痒いし沁みるし痛いし。今思うと成分オタクになったのはこれかな。何が入っているんだ?何が肌に悪いのか?調べまくったよね

ギラギラしていた。

早く上に行きたい。

認められたい。

売れたい。

負けたくなかった。

役職という責任

スタイリストになり、

店長を任され、

マネージャーへ。

立場が変わると、

見える景色も変わる。

売上だけではなく

スタッフの人生、

店の未来、

経営の数字。

技術だけでは通用しない世界を知った。

それでも、

気づけば15年。

人生の半分近くをその店で過ごした。

独立を伝えた日

独立を決めたとき、

社長に伝えた。

簡単な決断じゃなかった。

育ててもらった場所。

悔しい思いも、嬉しい思いも、全部そこにあった。

でも、自分の美容を形にしたかった。

“自分の責任でやる”と決めた。

物件が見つからない1年半

でも現実は甘くなかった。

物件がない。

条件が合わない。

家賃が合わない。

立地が違う。

気づけば1年半。

何度も心が揺れた。

「このままでもいいんじゃないか」

そんな声もよぎった。

そして、西宮市甲子園口

ようやく出会った。

兵庫県西宮市甲子園口。

今のこの場所。

入った瞬間、

「ここや」と思った。

広くはない。

でも、やれる。

ここから始めよう。

そう決めた。

15年勤めた場所を離れ、

ゼロからのスタート。

でも不思議と怖さより、

静かな覚悟のほうが強かった。

ギラギラは少し落ち着いて、

代わりに“芯”ができていた。

puzleオープン

最初は、ほんまに誰も来なかった。

「オープンしたら自然とお客様は来る」

そんな甘い世界じゃなかったのは、すぐに思い知らされた。日に日にお金が溶けていく

当たり前やけど、誰も知らん店に人は来ない。

そこからやったね。

集客サイトに登録してみたり、

ポスティングもやったし、

チラシも作ったし、

できることはとりあえず全部手を出した。

正直、効いてるのかも分からん状態。

でも、不思議とゼロではなくて、

ポツ、ポツと来てくれるお客様が現れ始めた。

その一人一人が、めちゃくちゃ嬉しかった。

「また来ますね」

その一言で、もうちょい頑張ろうって思えた。

そこから少しずつ、ほんまに少しずつ。

1年、2年ぐらいかけて、

ようやく“お客様がいる状態”になってきた。

安定なんてほど遠いけど、

「店として成り立ってきたな」って感覚。

でも、そんなタイミングで来たよね。

コロナ禍

正直、「やっとここまで来たのに」って思った。

世の中全体が止まる感じ。

人が外に出なくなる空気。

美容室も例外じゃなくて、

予約は減るし、キャンセルも増える。

未来が全く見えなくなった。

でも、この時に一番考えたのは

「これ、このままやと普通に終わるな」

ってこと。

逆に言えば、ここで何か変えないと、

ただ流されて終わるだけ。

ここから、“考え方”が変わり始めた。

ただ髪を切るだけじゃなくて、

「これから先も必要とされる美容師って何や?」って。

流れに乗るんじゃなくて、

自分で流れを作らなあかん。

そんな風に思い始めたのが、

このコロナの時期やった。

コロナ禍に入って、また流れが止まりかけた時に出会ったのが

「ケミカレーション」という勉強会やった。

正直、それまでの自分は

“なんとなく良さそう”とか

“経験的にこれがいい”でやってた部分も多かったと思う。

でもそこにいた人たちは違った。

みんな当たり前のように勉強してる。

薬剤の成分、反応、理論。

「なんでそうなるのか」をちゃんと理解しようとしてる。

正直、衝撃やった。

「え、こんなにやるん?」って。

自分はケミカレーション3年目。

ある程度できてるつもりやった。

でも実際は、わからんことだらけやった。

むしろ

わかってないことに気づけたのがデカかった。

そこからやね。

考え方が変わったのは。

ただ技術をこなすんじゃなくて、

“未来の髪をどう作るか”を考えるようになった。

その場の仕上がりじゃなくて

5年後、10年後。

今やってることが、

後でどう影響するのか。

それを考えだした時に

「予防美容」という考え方に繋がっていった。

まだまだわからんことだらけやけど、

だからこそ面白い。

あの時の出会いがなかったら、

今の自分は間違いなくない。

続く